歯科衛生士は意味のある仕事だと実感
正直言うと、もともと歯科衛生士の仕事がすごく好きというわけではなかったんです。専門学校は楽しかったけれど現場を長く続けるつもりもなかったし、なんとなく「資格があるから」という気持ちで働いていたというか。ところが、たまたま結婚した夫が歯科医師で、彼が経営する医院で一緒に働くことになって。医院を支えなければならないし、子どもを育てるためにも、真剣にやらざるを得なかったという感じでしたね。
ただ、続けているとだんだん「歯科衛生士って意味のある仕事なんじゃないか」と思うようになりました。とくに、メインテナンスを任せてもらえたことは大きかったと思います。自分が受けるならどうしてもらいたいかを試行錯誤して、患者さんに喜んでいただけるのが本当に楽しかったんですよ。
たとえば美容院に行って「普段アイロンやりますか?」って聞かれて、「このやりとりもう5回目だよ」ってうんざりすることってあるじゃないですか。もう何回も来ているんだから、そろそろ覚えてよって。時間もお金もかけて来てくださるのだから、心ない対応や、個を見ない画一的な対応はしたくありません。患者さんのことをよく見て、変化に気づいて、口腔内も心も気持ちよく帰れるように。そこを軸にしながら臨機応変に対応していくうちに、歯科医院に来ることが生活の一部になってくれる方が増えていったのがうれしかったです。
自分のスタイルに確信が持てたコロナ禍
もちろん、若い頃はちょっとしたことでも気負ったりしていましたよ。伝えても伝えても磨いてきてくれないと「なんで⁉︎」とか、「着色が気になるから来ているだけなんじゃないの⁉」とか。定期的に通う意味が患者さんにちゃんと伝わっているのかどうか、そこばかり気にしていた時期もありました。
それが、焦らなくてもいいんだと思えるようになったのが実はコロナの時期。これからどうなるのか世の中のみんながわからず、メインテナンスの予約もばぁっと消えて……。「やっと予防が習慣化していたのにこれですべてが終わっちゃう」と途方にくれていたんですが、定期的に通われていた方が全員戻ってくるのに2ヶ月かからなかったんです。みなさん「コロナも怖いけどメインテナンスをやめるのも怖くて」って。自分が思っていた以上に、患者さんのなかでオーラルケアをすることが日常になっていたんですよね。
そうわかってからはいろいろ取っ払えて、無理せず自分のスタイルでやればいいんだって思えるようになりました。以前は「口の中を掃除してもらいたくて来ているんじゃないの⁉︎」って思っていたのも、「来てくれるならそれでいいか」って気持ちが自由になったんです。高齢になると鏡越しでも口腔内が見えづらくなるとか、フロスみたいに細かい作業がやりにくくなるとか、自分が年齢を重ねて気づいたこともありますね。足りない部分をこちらでフォローできるのであれば、目的がお掃除でも、おしゃべりでも、ちょっとゆっくりしたいでも。通ってさえもらえれば、口腔内の健康は最低限守られるわけですから。
「あの人に出会えて変われた」が一番うれしい!
この30年、あっという間でした。ここでメインテナンスを始めてからは22年経っていますから、当時お母さんに連れられていた子が社会人になって、新卒のお給料から自分でお金を払って通ってくれたりもしています。一方で、60代だった方がお年を召して、体調を崩して来られなくなってしまうことも。コロナの時のように、当たり前のことが当たり前じゃなくなることがあるからこそ、変わらず来てくださることに感謝して、1回1回の時間を大切に使っていきたいですよね。
それと不思議なことに、私、患者さんの口の中の記憶力だけはすごくいいんですよ。メインテナンスにいらしているすべての患者さんのリスク部位や、歯ブラシの色、20年前の初診の主訴まで全部頭に入っています。普段は娘に「お母さん、その話何回も聞いたよ」ってしょっちゅう言われるくらいうっかりしているんですけど(笑)。そう考えると、やっぱり私はほかの仕事はできなかったんじゃないかなぁって思います。
患者さん全員から好かれることなんてないし、なかには私のことが苦手な方がいるかもしれません。それでも、患者さんが「健康になりたい」と望んでいる以上、自分が口腔のプロとして信じていることを提供していくのが私たちの役目。そしていつか、「あの人に出会えて自分も変われたな」って思っていただけたらそれが一番です。
<歯科衛生士・吉岡の編集後記>
みなさんそれぞれに、歯科衛生士としての「私らしさ」があると思います。日々の臨床の中で「自分はここを大切にしたい」と思えることが少しずつ見えてきて、それが歯科衛生士としての軸になっていくのかもしれません。
狩野尾さんとお話をしていて、ぶれない芯と相手を包み込むようなあたたかさ、その両方を持っている姿が印象に残りました。「私らしい歯科衛生士って、どんな人だろう」そんなことを、ふと考えさせてもらえる出会いでした。